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観音寺(志方城跡)

黒田官兵衛と光姫ゆかりの地めぐり」で観音寺へ行きました。
観音寺は志方城跡にあります。
そうです~
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を見てのとおり、黒田官兵衛の妻である光姫(てるひめ)は志方城主の娘でしたね!
ここ志方から姫路の黒田官兵衛のところに嫁いだんですよね~

観音寺の境内には加古川市の「志方城址」の説明板、「官兵衛の妻 光のふるさと観音寺(志方城跡)」の説明板などが立てられていました。
私が行った時は観音寺の本堂は修理中でした・・・
ヽ(≧Д≦)ノ ウワァァン!!

そんな観音寺へは、JR加古川駅からバスがでています。
ただ2時間に1本です。
行きは「西牧行き」に乗り、「JR宝殿駅」経由で「志方小学校前」で降ります。
時間にして40分余り、440円です。
帰りは31分です。
2時間に1本しかバスが無く、現地についても観音寺の見物は10分ぐらいです。
車で行くならまだしも、バスで観音寺だけを見に行くのは「・・・」です。
とりあえず、本堂の修理が終わってから行くべきでした。

「官兵衛の妻 光のふるさと観音寺(志方城跡)」の説明板には次のように書かれていました。
曹洞宗の寺院で本尊は観世音菩薩です。観音寺の附近一帯は志方城跡です。現在の観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀に二の丸(志方小学校所在)のあたり)、西の丸(旧志方町役場所在のあたり)とかなりの規模の城であったようです。この城の城主・櫛橋家は伊朝を祖とし代々赤松氏の家臣でした。伊朝より五代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ、祖父の例にならって播備作三国の財産出納の役をつとめて文明13年(1481)志方・天神山に城を築き、明応元年(1492)この地に志方城を築きました。以来、伊家、伊定、政伊と父子四代続き、天正6年(1578)羽柴秀吉の攻略にあって落城しました。伊定の娘、光/てる(幸圓/こうえん)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚した翌年に嫡男が生まれました。後の福岡藩主・黒田長政です。現在の観音寺は、志方城落城の後、天正15年(1587)、宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守るために城の本丸跡に禅寺を建立したのが始まりです。

■観音寺(志方城跡)
加古川市志方町志方町720
Tel:079-452-2370

観音寺 山門

観音寺 山門

観音寺の本堂は修理中

観音寺の本堂は修理中

官兵衛の妻 光のふるさと観音寺(志方城跡)

官兵衛の妻 光のふるさと観音寺(志方城跡)

「てるひめちゃん」と「かんべえくん」

「てるひめちゃん」と「かんべえくん」

■観音寺 地図

より大きな地図で 加古川 黒田官兵衛と光姫ゆかりの地 を表示


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